信濃毎日新聞 文化面 08年11月21日掲載
チベット 人々の祈り (野田雅也)
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第3回 奪われる生活の基盤
■ショベルカーが黒煙を吐き出し、畑に鉄の爪を突き立てる。
在家尼僧のダワ(38)=仮名=は、土の上に泣き崩れた。
「ここは私が大麦を植える土地なんだよ」
チベット東部アムド地方(青海省)で暮らす彼女は二〇〇六年八月、省政府から突然、畑の明け渡しを命じられた。
新たな都市開発ため、省政府が土地を買い取るというのだ。
「役人は怒鳴り、尻を叩いて、『契約書に署名しろ』と迫った」。
ダワは、土地の買収代金として十万元(約百四十万円)を提示されたが、拒絶した。
身体に障害がある孤児を引き取って育てている彼女は、畑で収穫した大麦を肉やバターと交換して生活してきた。
「代々受け継いできた、生きる拠り所のこの畑を、どうして明け渡さなくてはならないのさ」と涙を浮かべる。
だが、役所に四度目に出頭したとき、彼女はこう告げられた。「契約はもう済んでいる。作業は始まった」。
あわてて畑に駆けつけたダワが目にしたのが、冒頭の光景だった。
■爆発的な経済成長を続ける中国は、開発が遅れた内陸西部地区の〝発展と近代化〟のため、二〇〇〇年から西部大開発に取りかかった。
北京、上海などの大都市とチベット自治区のラサを結ぶ鉄道の敷設工事が始まり、チベット高原での鉱物資源や天然ガスの採掘にも拍車がかかった。
しかし、この開発によって利益を得るのは、チベットの人々ではない。
中国政府は〇六年から、草原に散在して暮らすチベットの農牧民を集合住宅や都市部に定住させる「農牧民の定住プロジェクト」を本格化させた。
アムド地方のある集合住宅地を訪ねると、生活支援を目的とした絨毯工場や学校が建てられ、各戸ごとに小さな畑もあった。
しかし工場に機器類はなく、学校には机も人影もない。
畑はあっても、もともと草原の民である人々の多くは、作物の栽培方法をほとんど知らない。
伝統的な生活を失った農牧民たちは、生き方さえ見失ったかのように、住宅地の中の道路を行ったり来たりして無為に一日を過ごしていた。
■集合住宅地を案内してくれたチベット人男性によると「この地区では、家畜を売って集合住宅に移り住めば、六万元(約八十四万円)が支払われる」という。
そのうち半分が住宅の建築費として差し引かれ、残り半分が手に渡る。
現金収入に乏しい農牧民にとっては大金だ。
だが、「それが貸付金で、返済義務があることを、多くの人は知らない」と彼は言った。
■ラサでは、チベット仏教の聖地として千年の歴史を誇る古い街並みが、観光客向けの〝チベット風建造物〟に変わり、チベット人居住区は緑化計画のための公園に、あるいは高級マンションに変貌した。
そこで暮らしていた人々は転居を余儀なくされた。
政府は、彼らに住宅補助金として一家族一万元(約十四万円)を支給している。
しかし、新たに家を建てるにはその十倍以上のお金が必要だ。
〝発展〟の名の下にチベット人が生活の基盤を失い、借金を負わされていく一方で、移住してくる漢民族のために、新しい街や工業地帯が次々と造られている。
その現状を写真に撮るうち、ひとつの歴史が脳裏に浮かんだ。
それは、日本が鉄道を建設し、開拓移民を送り込み、傀儡国家を築いた満州のことだ。
その負の歴史が、今のチベットに重なって見える。
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【写真キャプション】
ラサ市西部に建設中の国家経済技術開発区。背後の山には採石場が見える=2008年10月 チベット自治区ラサ 撮影:野田雅也
信濃毎日新聞 文化面 08年11月14日掲載
チベット 人々の祈り (野田雅也)
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第2回 追いつめられていく構造
■チベット人ソナムの携帯電話には、見知らぬ漢民族の女性が応答した。
九月下旬、チベット自治区のラサに到着し、安否を確認しようと電話をしたときのことだ。
悪い予感を抑えつつ、別の知人にも電話をしてみるが、同様に知らない誰かが出るか、すでに番号が使われていない。
本人と連絡がとれたのはパサン(31)=仮名=ともう一人だけだった。
■ラサに住んでいたそのパサンも、今は自治区外の故郷に戻り、家畜の世話をしているという。
後日、別の町で二年ぶりに彼と再会した。
表情には疲労の色が濃く、五歳も十歳も年をとったかのように見える。
チベット騒乱後の三月下旬、ラサでチベット人の一斉家宅捜索が行われ、パサンの部屋にも黒い覆面をした治安部隊が押し入った。
ラサ市政府が発行する居留許可証を持っていなかった彼は、故郷に戻るよう兵士に命令された。
不満を言えば「国家分裂主義者」として拘束されかねないため、「従うしかなかった」。
■彼だけでなく多くの市民や僧侶たちが、同じ理由でラサから追放された。
生活の場や仕事を失った人々は、故郷に戻っても収入を得るすべはない。
パサンは周辺の都市部に出て職探しを続けたが、チベット人というだけで面接さえ拒否された。
五カ月後にようやく、中国沿岸部にあるテレビ製造工場で働くことが決まった。
製造ラインでスピーカーを溶接する仕事で、月千三百元(約二万円)の高収入が得られる。
チベットから二千キロも離れた大都市での生活に不安はあったが、すでに親族や知人からの借金が膨らみ、選択の余地はなかった。
しかし、工場での仕事は、早朝から深夜まで高温の蒸気を全身に浴び続ける過酷な作業だった。
一週間後、過労とストレスで体調を崩したパサンは、「ほかにも働きたい者は山ほどいる」というひと言で解雇された。
賃金はまったくもらえないまま、実家に戻った。
列車の往復運賃と生活費の借金だけがかさんだ。
■「締めつけが厳しくなり、チベット人が徐々に追いつめられていく構造がある」とパサンは語る。
中国民主化運動情報センター(香港)の二〇〇七年の調査によると、ラサの人口三十五万人のうち漢民族は二十万人を超える。
チベット人が少数派になり、急速に中国化が進んでいる状況は、その当時から指摘されていた。
騒乱後はそれに加え、多数のチベット人がラサを追放され、職を解雇される人も急増した。
そしてその空白を埋めるように、移住してきた漢民族が入り込み、人口構成や社会構造の転換が加速している。
パサンは「中国下のチベットでこれ以上暮らせない」と、インドへの亡命を考えている。
しかし、インド、ネパールとの国境地帯には人民解放軍や国境警備隊が大幅に増兵されているため、国境を越えての亡命は「危険すぎる」状況だ。
「今やチベット全体が監獄だ。
中国政府にとってチベット人は不要な存在で、地下資源の豊かな土地、領土だけが必要なんだ」とパサンは言った。
■十月十八日、アムド地方チェンツァ(青海省尖扎(ジュンカ)(ジアンザ)県)に住む十七歳の少年ルンドゥブが、学校の屋上から飛び降りて自殺した。
遺書にはこう記されていた。
「チベット人は自由と基本的人権を奪われている。それを世界の人々に知らせるために自らの命を絶つ」と。
逃れることのできない苦しみのなかに生きるチベットの人々。
その苦しみが彼を死に追いつめたのだ。
信濃毎日新聞に掲載された記事を、チベットNOW@ルンタから転載させtいただきます。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51136327.html
信濃毎日新聞 文化面 08年11月7日掲載
<チベット 人々の祈り> (野田雅也)
第1回 迫害の歴史、抗議の根に
九月下旬から三週間、チベットを訪れた。一九九九年に初めて行ってから、これが八回目の渡航になる。チベット自治区に入るのは、一昨年以来二年ぶりだ。
今年三月、チベット全土で起きた僧侶や市民らによる激しい抗議デモを、中国政府は圧倒的な軍事力で鎮圧し、チベットを事実上封鎖した。それから半年。北京五輪が終わり、外国人観光客にも再び開放されたラサは、穏やかな日常を取り戻したかにも見える。
しかし、町を歩くと、銃を携えた治安部隊が巡回し、私服の秘密警察が人びとの会話に耳を立てている。仏教寺院にも、僧侶の袈裟を着た監視員がいた。そして、道路わきなどのいたるところに監視カメラが設置されている。チベット仏教の聖地ラサは、監視と密告という見えざる眼の下にあった。
「オリンピックなんて見たくもなかった」と尼僧のガワン(30)=仮名=は言った。三月、彼女の寺院でも大きな抗議デモが起き、義兄を含む僧侶二十一人が拘束された。黒い覆面をかぶせられ、縄でつながれた彼らは、抗議デモで掲げたダライ・ラマ十四世の顔写真を、見せしめに首から下げさせられ、一列になって町を歩かされた。チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ十四世を中国は国家分裂主義者と非難し、その写真を持っているだけでもチベット人は投獄される。僧侶たちが首から下げた写真は、群集の前で焼き捨てられた。
ガワンの寺院は抗議デモの後、人民解放軍による厳重な監視下に置かれた。屋根には中国の紅い旗が掲げられ、本堂や僧坊には、監視カメラと盗聴器が取りつけられた。「外出もできず、水や食べ物がほとんどない状態が三カ月間続いた」と言う。その重圧のなかで、ガワンは拘束された仲間たちの無事を祈り続けた。
ほかの寺院でも、僧侶たちへの愛国教育が強化された。彼らはそのなかで、中国共産党を讃えること、分裂主義者に加担しないことを誓わされる。しかし僧侶たちにとって、心に嘘をつくことは仏教の教えに背くことであり、信仰の指導者を非難することは苦しみの極みである。この愛国教育のために、チベット各地で僧侶の自殺が相次いだ。
一方で、北京五輪の前には、中国政府からチベット人に生活支援金として一人五百元(約七千五百円)が配られたという。ガワンは「お金で人を操ろうとするなんて、信じられない」と怒りに声を震わせた。
五輪中はさらに厳しい監視が続いた。町には治安部隊が溢れ、道路には軍の検問所が増設された。多くのチベット人が家の外に出ることさえ恐れていたという。しかしそのチベットの内情が、外に伝えられることはなかった。
ガワンは今も繰り返し同じ夢を見る。それは、秘密警察に拘束され、体に紅い旗を巻きつけられてビルの屋上から突き落とされる夢だ。極度に追い込まれた心理状態が、そんな悪夢を見させるのだろう。「何か不吉な暗示ではないか」と彼女はおびえていた。
中国はチベットへの監視と抑圧を強め、抗議デモの再発を防いでいる。しかし、独自の文化や信仰をもつチベットの人々を、一九五〇年の侵攻以来、半世紀以上にわたって迫害し続けてきたその歴史が、今回の騒乱の根にはある。北京五輪を終えた今も、声にできない祈りをチベットの人々は唱え続けている。
(前記事からの続きです)
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<中国民主化同盟系の中国人からの感想>の後に:
前にもいったが、89以降、中国の民主化、開けた社会を実現しようと努力している人々(中国のビジネスマン、学生、知識人、教授等)を全面的に支援している。彼らも私のことを「仲間」と呼んでくれている。ハハハハハハ!
私はいつも民主化と正義の実現のために働いている皆さんと共にある。これは道徳的支援だけではない、皆さんで会合を開かれるときがあれば私を招待してほしい、出席しよう。目的は一緒だ。
チベットの格言に「100の病に効く一つの薬」というのがあるが。
民主化された中国、開かれた社会、すべてが透明で、正義に基づき、道徳理念を備えた中国が実現されれば、すべての問題、日本との、台湾、アメリカ、インドとの関係、中国国内の問題、チベット問題、ウイグル、モンゴルの問題は簡単に解決される。
それにしても、その間には北京からひどいことをたくさんいわれることであろう。
これは覚悟しておかないとね、、ヒヒヒヒヒ。
(続く)
(前記事からの続きです)
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<会議の感想を>
この会議は、政府の者も、長老も若者も、真剣に自由に同等に議論を進めたと聞く。活発な討論が続き、熱くなる位だったという。何にも遠慮せずに、率直にそれぞれの思いを言い合ったことは非常に良いことだ。
(続く)
(前記事からの続きです)
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<脱宗教について>
チベットの憲法を定めるときにも、最初からその性格は宗教を離れている。
選挙によって首相が選ばれてからは、私はもう半分引退している。
2001年の選挙では、幸運にも(不幸にもか?)人々はもう一人の僧侶を選出した。
年も取っているし、、、(傍にいたサンドゥ・リンポチェの方を向き)ハハハ、、、でも私よりは若いか,ハハハ。髪も全く白いし、私の方が(黒くて)若く見えるけどな、、、ヒヒヒヒ!
社会においてはセキュラー(脱宗教・世俗)システムが一番だ。宗教を信じない人もいるし、他の宗教を信じる人もいるからだ。セキュラーと言うが、これは反宗教ということではない。
イスラム教のある友人はこのセキュラーシステムは宗教に反すると言って、これに反対する。
これは誤解だ。
インドにはこの伝統がある。
マハトマ・ガンジー師は深く宗教的人物であったが、一方で政治の分野では脱宗教を強く推し進めた。
インドの憲法もセキュラーなものだ。それがインドに合っているのだ。インド議会には沢山の党がある。
様々な宗教も政治に参加している。
世俗主義というのはすべての宗教を同等に尊重するということだ。この宗教、あの宗教と言わないことだ。
同様に宗教を信じない人々も尊重されるということが含まれる。これも大事な点だ。
しかし、個人レベルの話をすれば、何らかの道徳的信念を持つ方が良い。特にリーダーには大切な資質だ。
例えば、神を信じる人々は「神は見ている。こんなことをすると、神に罰せられよう」との思いから悪事を避ける。因果を信じる人々は「こんなことをすると、いつかこんな悪い果を受ける」と知って悪事を避ける。このようなことがあるからだ。
しかし、組織についていえば政治機関や教育機関は脱宗教であるべきだ。
(続く)
(前記事からの続きです)
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<中国政府への信頼が薄くなって行った経緯について>
3月10日のあと私は中国首脳部に「期待」したのだ。今度こそ現実を見てくれると。デモはチベット自治区で始まり、それから多くは自治区以外の地区で起こった。
しかし、今回も私の期待は外れたようだ。でもノープロブレム。
一つ話をしよう。
私の初めて経験した中国のヒポクラシー(偽善、詐欺)は、1955年、北京と中国の各地で数が月を過ごした後、その帰り道トンシンでのことだ。
そのころ私は少しだが中国語が話せた。
その時宿の主人の中国人がこう言った「チベットからの初めての使節団が中国の首脳部と会えたのだ。チベット人達はさぞ嬉しかったことでしょう。特にあなたがラサを離れる時にはチベットの人々は大層喜んでいたと聞きますし、、、」
それを聞いて私は言った。
「実際見たものとして言うが、私がラサを離れるために河を越えるとき、その河には橋が掛っていなかったが、ラサの人々が大勢、最後の別れを言うために河岸に集まっていた。
多くの者たちは涙を流していた。ある者は河に飛び込もうとした」と。
事実をその若者に言うと、
「そうなのか?でも新聞にはチベット人は歓喜に溢れてダライラマを見送った、と書かれていたよ」と言った。
これが私の経験した初めての中国の「ヒポクラシー」だ。
いや初めてではなかったか、もっと前があった。
私は中国に行く前に第一次大戦、第二次大戦、広島、長崎の原爆の事などはニュースで知っていた。
アメリカの戦艦の上で、マッカーサーを前に日本人が降伏のために署名をするところも見ていた。
中国のトンベ地域に行った時、そのシーンを撮った写真が飾ってあったのを見つけた。
そこで、ガイドの中国人に「これはどこの船か?」と尋ねた。
するとガイドは「あ、それはソビエトの戦艦だ」と答えた。
中国は普通、「日本はソビエトから北方を攻められることにより降伏した」と言っている。
二つのアメリカの原爆によって降伏したなどとは決して言わない。
これも「ヒポクラシー」じゃないか?そうだろう?「ヒポクラシー」でいいのかな?
数か月前、ラサの近くの村に里帰りしたというチベット人から聞いた話だが、村の村長は歓迎の会合の席で「我々は本当に幸せだ。みんな共産党のお陰で新しい家に住み、本当にすべてが良い」と言っていた。
次の日に村長の家に遊びに行くと、彼の顔は暗い。
どうしたのか?本当のところはどうなのだ?と訊くと、「ひどいもんだ。政府は家を建てるための補助金だと言って金をくれるが、まったくその金では足りない。だから家はボロボロだし。ほとんどのものは借金して、家を建てなければいけない。みんな今じゃ借金だらけだ」
「じゃ何で、昨日あんなことを言ったのだ?」と訊くと
「私はあのように言うしかないのだ」と言ったという。
1980年には卓越した共産党指導者であった胡耀邦氏がチベットを訪問する。
私の聞いたところによると、確かではないかもしれないが、彼は自分が訪問する前に、若い学生を中心に30名ほどチベットに送ったという。チベットを秘密裏に調査するためだ。
彼らの報告を受け、胡耀邦氏はチベットを訪問する前にすでにチベットの現状についての正しい知識を得ていた。
チベットに行った時、現地の役人が「チベットは美しい、すべてが上手くいっている」と報告するのを聞いて彼は役人たちを叱ったという。
このように全体主義国家においては、下の役人は偽善的報告をするものだ。
3月10日以後、私は中国政府がチベットの現実に向き合う勇気を持ってくれると期待した。現実的なアプローチを期待したのだ。
もう一つ、5月4日に非公式の会談が行われたが、このとき中国政府は異例にも、この会談に先立ってある国の大使を呼んで、これからダライラマの特使と会談すると知らせた。
さらに、ある日本のレポーターから会談の有無について訊かれ、会談のあることを認めただけでなく「会談には誠実に望む」と答えたと聞いた。
そこで私の期待はさらに膨らんだ。
今、もし正しく現実を認識し、現実的アプローチを選択するならば、我々は100%協力する用意がある。
我々は独立を求めていないし、分裂も望んでいない。
また、友人の友人から「指導者の中で誰と誰が話し合いに前向きであり。誰と誰がそうではない」などの情報を聞いた。そして混ざり合った二通りのシグナルが送られてきた。
それにしても、その非公式の会談を受けて第7回の会談を7月4日に開くこととなったが、彼らの態度はさらに厳しかった。
何よりも、チベットの内地では平和的デモが、ただただ弾圧された。その状態が今も続いている。
この前、BBCにも「もうチベット民族は死刑宣告受けたようなものだ」といったが、この意味は、
今まさにチベットの精神、文化が一掃されようとしているということだ。民族の精神が失われるとは、それは民族の死を意味する。そうではないか?だから状況は非常に悲しいものだ。
私も馬鹿ではない。このようなことから信頼が薄らぐのも自然なことだろう。
3月10日のデモに関してだが、実際のデモは10日の午後に始まっていた。
3月10日には我々はいつもの行事として、ツクラカンに集まり、声明を発表したりする。
私はその日、体調が良くなかった。風邪をひいており、咳が出て、熱もあった。
そこで私は早めに会場を去った。
昼食の後、「今、ラサの街で、人々がデモを始めた」というニュースが入った。
実際、デモは10日に始まり、11日、12日、13日と続いた。しかし、中国政府は14日からデモは始まったと言い続けている。これはどう言うことか?
現地の人々からの情報によれば、10日以降の数日中に、数台のトラックに乗った不審な見知らぬ一団がラサに到着したという。そして14日には放火、略奪等が起こった。関連を疑う。
もっともこのことは100%確かなことではない、ちゃんと調査されるべきことだ。
だから、国際機関や中国が調査団を派遣すべきだと、私は最初から言い続けてきた。
チベットに行って普通の人々に会って、何が起こったのかを聴くことだ。
調査が必要だ。
中国の首脳は私がこの騒ぎを引き起こしたと言う。
だから私はいつも言っている、中国の役人、調査団をここによこして、何でも調べればいいと。
すべてのファイルを調べ、いろんな機会に私が話した内容を録音したテープ全部を聴けばいい、と。
私は新しい亡命者と会う時に、いろいろな話をする。それらを聞いてチェックすればいい。
私たちは何も隠さない。いつでも見せる用意がある。
しかし、中国からは何の反応もない。私は今でも呼び続けている。
そこで、、、
「この中に中国のレポーターはいるか?」(と記者団を見まわし)
「あなたは中国からではないか?、、顔が中国人のようだが?、、、日本人か?」(と前の方にいた人を指す)
「日本人です」(某新聞社記者)
「そうか。日本人か」ハハハ。
「中国人はいないのか」
誰も手を上げない。
「この中に11人居るはずです」(情報官)
最初のころ中国のレポーター、新華社が来ているという情報があったが、、、だから、今日はこの会見に来ていると思っていたが、、、私は彼らを一週間招待した。私のゲストとしてすべてをちゃんと調べてほしいといった。でも、もうみんな帰って、誰もいないみたいだな、、、ok ノープロブレム。
そうだ、キツイ冗談として、「おしっこも調べてくれ」と言ったが、これにはちゃんと理由があるのだ。
それは、中国の役人の中に私が「B型肝炎を罹っている」という者がいると聞くし、数年前にはチベットの中で「ダライラマは癌を患っている。数か月の命だ」という噂を、中国のエージェントが故意に広めたりしたからだ。
だから、ちゃんと私のおしっこも調べてほしい。ハハハハハ!
これらが私の「落胆し、中国首脳部に対する信頼が益々薄れてきた」と言った理由だ。
しかし、私の中国の民衆に対する信頼は決して揺らいだことがない。
昨日も中国の人たちと話をしたが、、、この中に来ているかな、、、本当に親密な会話をすることができた。
中国がもっと開けた社会となり、法によって統治され、民主化されるべきだ。
今年の3月10日前にも少しはあったが、特に3月以降には100を超えるチベットを支援する記事、論文が中国人の作家、教授、知識人によって書かれ、発表されている。
みんな、チベットの「意味ある自治」を得るための戦いを支持してくれている。
3月の危機の後、4月にはアメリカに、5月にはヨーロッパのドイツとイギリスを訪問した。
この二ヶ月間はどこにいっても中国人のデモ隊が私を追いかけてきた。彼らは怒りに駆られていた。
ハハハ。
アメリカの秘密エージェントのアレンジで、そんな中国人数人と会うこととなった。テーブルを挟み、前には若い中国人が7人いた。
私は「我々は反中国主義者ではない。我々は中国人を尊敬する。その文化を評価する」と説明した。
「初めからオリンピックを完全に支持している」とも言った。
そのあと、3月以降に私が中国、世界、チベット人に訴えてきたことを説明した。
7人の内、2人だけが私の説明を聞いていた。しかし、他の5人は私の説明さえまったく聞いていない。
非常に感情的で、怒りに支配されていた。テーブルを挟んでいたからよかったが、そうでもなかったら彼らは私に飛びかかり、殴りかかっていたかもしれない。それほどに感情的だったのだ。
だから、それからできるだけ、中国の新華社を含めたメディアに積極的に会うことにしている。
アメリカにある、そうした中国語メディアには積極的に接した。その後のヨーロッパにおいても同様に中国人に説明し続けた。そして、オーストラリアに行った頃には、もう中国人のデモ隊は追いかけて来なかった。今は、少しはまともな情報、良い教育を受けたといえよう。現実に近づいたとも言えよう。
だから、私の中国人に対する信頼は揺らいでいないと言いたいのだ。
対話と言うと、これは対象別に二つに分かれる。政府相手の交渉と人々との対話だ。
中国の人々はいつまでも変わらずそこにいる。しかし、政府は政策の変更があったり、政府自体が変わったりもする。そして、リーダーが変わったりもするのだ。
(続く)
(前記事からの続きです)
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51132980.html
<将来の中国との対話について>
これはもっと後で決める。一か月待ってくれ。
(続く)
(前記事からの続きです)
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<中国とチベットの共闘の可能性について>中国人の中国語での長い質問。
一般の中国人の中にはチベット人に対する反感は有ると思う。
民主主義の促進を目指すという点において、我々と中国本土の人々の要求の大方は一致する。
以前より、私はアメリカやヨーロッパ、オーストラリアその他の外国に行った時に、その地に住むチベット人に対し、もし中国人に会うようなことがあれば、必ず友人になるようにと言い続けている。
天安門事件の前には中国の知識人たちもチベット人の事をあまり相手にしてくれなかった。
しかし、天安門事件の後、彼らの態度は一変した。
多くの民主化運動家の学生たちが、事件の直後外国に逃れたが、そんな彼らと私はアメリカ、ヨーロッパ、オーストラリアで度々会っている。
私は彼らにいつも言っている。「あなた達は民主化のために、もっと社会が開けたものとなるように、法治国家になるために戦っている。
我々も同じだ、正義と民主主義のために戦っている。故に共通の基盤を持っているのだ」と。
そういえば昨日もそのような中国人と長い論議をしたな。
民主主義と言うか、個人の自由を求める気持ちは本質的なものだ。
生まれて死ぬまで、個人の自由は大変重要だ。
生来、人は自由であるべきなのだ。
20世紀の前半には、世界の多くの国では全体主義が社会を良い方向に変えると考えられていた。
しかし、世紀の後半にはソビエトのように、経済破綻によりこの考えが間違っていたことがほぼ証明されるに至った。
すべての人々の自由への希求は、如何なる力に依っても止めることができない。
現在中国においてもこの欲求は益々強くなってきている。
特に今の胡 錦濤が<調和ある社会>を提唱することに、まったく賛成する。
<ワンシャントゥーミー>ハハハ、私は完全に賛成する。
しかし、真の調和は心から来るべきものであり、信頼に基づくものだ。恐怖と弾圧の下でどうやって、信頼や真の友情、真の調和を育むことができるのか?不可能だ!リーダー達の中には「調和ある社会」を唱える者は多い。それは素晴らしいことだ。みんなそのことを支持するであろう。しかし、方法が間違っている。
弾圧は間違った方法だ。調和は銃口の下には築けない。調和は相互の信頼と尊敬、親近感からくるものだ。
(続く)
(前記事からの続きです)
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<後継者について。カルマパは?>
私が死んだ後に、必ずしもダライラマ制度が存続する必要はないと思っている。今まで民主化につとめてきたことや、パンチェン・ラマの時に中国政府によってあまりにも政治化され過ぎたという経緯を考慮に入れてのことだ。
その時は次の転生者はいないということになる。もし人々が望むなら、選挙で選ぶことも考えられる。
長老からということもありえる。伝統的な方法で選び、女性もありえる。
原始時代には、すべての家族のものが責任を持っていた。人口が増えて指導者が必要となってきた。
昔は体の強さが一番の基準だった。教育は関係なかった。ほとんど動物と同じだ。頭は関係なかった。
だから男が社会を握るようになっていった。
次第に教育の方が体力より重要視され始めた。こうして社会では女性と男性のほぼ同等の役割を持つようになってきた。しかし、まだ指導者には男が多い。21世紀に入った今、我々の教育と技術は相当に進歩した。この進歩、発達も人々の紛争を解決することに失敗している。
究極的には紛争は心の中から解決されるべきだ。過度の競争心(少しの競争心は良いが)、異常な競争心、怒りや猜疑心、これらが究極的な紛争の源だ。紛争、衝突は心から解決されるべきだ。
しかし、現代の教育には問題があると思う。
頭ばかりを鍛えることしか知らず、同等に温かい心を育てることに関心をはらっていないからだ。
千年ほど前に組織的教育というものが始まったころは、西洋では教会が道徳教育の役割を担っていた。
もちろんある程度、家族もこの役割を負っていた。
しかし現代社会ではこの伝統は衰退した。今の教育者は頭のことしか考えていない。
この面での伝統的な教会や家族の役割が望めない今、教育機関は頭の正しい発展と同等に温かい心を育てるという大きな責任があることを自覚すべきだ。
温かい心と慈悲の心を育てるには三つの道がある。
第一の方法は、宗教の信の力を借りて、神の永遠の愛を通じて人間性と愛の心を育てるというもの。
第二の方法は神を立てないが縁起、因果律を信じる人々によって採用されているものだ。
現象は原因と条件により果を得る。
その果を因としてさらなる変化が起こる。
神を信じない仏教とジャイナ教の人々はこの原理より、愛と慈悲の心を育てる。
今、第三の方法があるべきだ。それは宗教に基づかない、世俗の常識と論理と共通の経験に基づき、温かい心と慈悲心を育てる方法だ。
この私も、ある程度の慈悲心を持っている。この心を私は最初に母親から学んだ。すべての人は母親の体内から生まれ、母親のミルクで生き延びた。これは大事な点だ。
常識と経験と、それに科学の最近の発見なども役に立つだろう。
ある科学者が私に、「怒りと憎悪は免疫力を減退させる。静かな心は免疫力を亢進させるのに大いに役立つ」と言っていた。
最近私は胆石の手術をした。
だからもうこの人には臓器が一つ欠けている。ハハハ!
私は手術後一週間で完全に回復した。元気いっぱいになったのだ。その回復ぶりを見て担当の医者も相当驚いていた。私の心は一般の人々と比べると比較的静かだが、きっとこのことが回復に役立ったのではないかと感じた。
常識と経験と最新の科学的発見は、人々が静かな心とやさしい心を育てるための論理的根拠となるのだ。
この心を育てることは個人だけでなく、家族の幸せ、コミュニティーの幸せ、そして国際関係においても非常に大事なことだ。この方法を私は第三の「世俗の一般的な方法」と呼んでいる。
そして私は、この社会に温かい心をもたらすには、女性のほうが大きな可能性を持っていると固く信じる。
生理的に女性の方が他人に対する関心が高いからだ。科学者は女性の方が男性より痛みに対する反応が大きい、という。
ある時、確かヨーロッパから大西洋を越える際だったか?長時間のフライトの時だった。
同じ飛行機に、ある夫婦と二人の子供が乗っていた。小さい方の子供はずっと寝ていたが、上の子供の方は悪戯で、あっちこっち走り回っていた。
最初の頃は父親も子供の面倒をみていた。でも二、三時間後には父親は眠ってしまった。暴れん坊の子供の相手をして疲れてしまったのだ。しかし母親は夜通し、眠らずに子供の世話をしていた。だから次の朝、母親の目は真っ赤だった。
これが女性の方が愛情深く、その愛情の力が他人の面倒を良くみさせるのだという証拠だ。
だから、これからは女性がもっと、世界平和と優しい心を社会に広める役割を積極的に引き受けるべき時が必ず来るであろう。ダライラマの生まれ変わりは女性になるかもしれない。ハハハハハハハハ!
もうひとつの可能性として
死ぬ前に転生者を選択するというのもある。ある検証により認められればその者が転生者になる。
これを我々は「マデ・トゥルク」と呼ぶ。これはそんなに珍しくもない。少なくとも私の知る限り二人はいる。
おお、二番目の質問にカルマパのことがあったな?
カルマパはチベット仏教の伝統の中でも大事なラマの一人だ。
同様にカギュ派の中にも、サキャにも、ゲルックにも、それと何だったっけ?おおニンマにも、そうチョナン、ボン教の中においても第二世代の若い人たちの中に、できる僧侶がたくさん出てきている。
だから、私は心配なく死ねる。
きっと彼らが責任を持って、チベットの精神世界をしっかりと存続していってくれると確信している。
もちろんカルマパは若くてエネルギッシュだ。中国の中での経験もある。そしていまは自由な外の世界に出た。これから大事な役割を担うことははっきりしている。
(続く)

